今まで散々否定してきといてなんですが








結論から言うと、






チョーク食べました。






さっきのは僕の都合のいい解釈です。




あれは誰が見ても

「食べた」

というでしょう。






この時僕は、


「諦観」を条件にするも、


目の前で次々と口の中へと運ばれるチョークに


ある種のアンビバレント


つまり


両面価値的な相反する二つの感情を抱きはじめていたのです。








チョークとは何なのか?








本当に黒板に 字や絵をかくために用いる文房具なのか?












ただのチョークスリーパーの略なのか?





おそらく、多数が





チョークはただの文房具

あるいは

チョークスリーパーの略

だと思うでしょう。










しかし











一見常識だと思われることを疑ってかかるのは、非常に大切なことです。





僕らが生きている世の中は間違いだらけです。





何が正しい 何が正しくないなんていう定義は在り得ません。





そんなのは人によって違うもの。

自分で確かめていく他ないのです。









































さて



そうなれば僕はここで、一つのことを考えなければならない。









チョークがチョークであるためには


文房具じゃなければいけないのか。

あるいは、プロレスで用いられなければならないのか。
















本当に、そうなのか?







白墨のほうの「チョーク」を知らない火星人がいるとしよう。


彼らに「チョーク」を持たせた時、


黒板に相当するものを見つけ、人間界でいう文字や絵をかくためだけに用いるだろうか?


そんな保障、あるわけがないだろう。



使い道は使う者によって変わるはずである。










そうなれば

「チョーク」を食すということ




これは、「チョーク」というものに、

自分だけの「チョーク」の定義というものに、

一歩近づくということに他ならない。








「チョーク」へのアプローチの方法は無限にある。

その無数の可能性の中から、偶然にして選び出された一つの方法

それが




「食べてみる」






それだけのことじゃないか?








食べてみることが、

食えるかどうかを確かめる手段というわけじゃない。



何が食えるもので何が食えないものかの基準がはっきりしないとわからない。

前のページで

「チョークが食えるわけねーだろ」

と書いたが、これは誤りである。



今の時点ではその基準ははっきりしていないし、なにより自分でひとつも確かめていない。








繰り返すが、

食べてみるということも、

自分の中での「チョーク」を定義する一つのステップにすぎない。

ゴールはないのだ。















ただ、






食べたらどうなるのか?






これについては

食べてみなければわからないという一つの真実が在る。









そして今、




今ここで、

その機会が与えられている。





三本の「チョーク」が目の前に在る。

























































Eat chalk C


















































































季節外れに暖かい11月も中盤にさしかかり、ようやく肌寒くなってきたころ。

紅葉がきれいに色づく校庭でした。


僕らは教室の一室でチョークを食べました。

吐きました。






チョークを食べるということは今回が初めてでした。

初めてのチョークの味は、しょうがの味が強かったことくらいしか覚えていません。

ただ、後になってみて、もう少し粘れたかなという悔いはあります。

あの時僕は確かにチョークを食べましたが、今後は食べないだろう、というのが僕の予想です。



ここ数ヶ月で、色々ありました。

最も大きなニュースは部活を引退したことです。

新しい高校生活が始まったと自分では思っています。

ただ一つ、僕の高校生活に未だ決定的に欠けているものがあるのは否めません。

いつか転機が訪れるだろうなどと甘い考えで過ごしています。

そして転機は来ていません。




高校生活もあと1年と少し。

あっという間に過ぎていく年月。

5ヶ月もすれば、僕はもう18。

18になれば、結婚ができるし、普通免許も取れる。

チョークを食うような暇もなくなる。





「17の頃、よくチョークなんて食ったなぁ」としみじみ思える日も遠くはないでしょう。

そう思うと、寂しいこと此上ありません。


あの時教室を逃げ出した青春を、僕は社会に出てからも忘れないでしょう。














モリスンは企画者としての任務を最後までやり遂げてくれました。

彼は今情報科で、おもに情報関係の検定資格を獲得するために努力しています。

その合間を縫ってチョークを食べようと言い出したときには、驚き呆れたことです。



彼の高校2年次は、僕から言わせればとてもショッキングな時期でした。

ふっと目の前にちらついた葉を掴んだは良かったものの、それは枯れる直前の紅葉でした。

今はブラウン管に映る同い年の誰だっけさんに軽く首ったけのようですが、

とりあえずは峠を越えて、彼もまた僕と同じように新しい高校生活を歩み始めたのです。



3年次になると、情報科のカリキュラムにだけある、研究課題なるものが始まるようです。

自分の興味のあるものを自由に研究していい、ということだそうです。

研究を通して、また斬新な切り口から世の中の不条理を発見していくことでしょう。










新人ドラマー君はドラムをたたくことに関しては全然新人じゃなかったみたいですが、

奇行に関しては新人だったので新人と書きました。誤解のないよう。

しかしながら初めてにしては見事な奇行っぷりでした。


彼は最近モリスンと他数名の情報科仲間とともにバンドを結成し、

活動に精をだしているようです。

ただ長期にわたる萎え期から中々抜け出せない模様で、

そのエネルギッシュなチョークの食いっぷりの裏返しに、彼の闇の表面を垣間見た気がしたのでした。


僕は楽器には縁のない男ですが、

僕のこれまでの経験によると、楽器ができる男はモテます。

「ドラム叩いてれば将来どうにでも転がるんだよ」なんてことはコツコツ真面目にやってる人に失礼で言えませんが、

楽器は強い味方になるでしょう。




















・・・・・・・・・



ということで「チョークを食す会」は幕を閉じた。


久しぶりの奇行は今までの中でも一番奇行っぽかったかと思う。



あんまり真似しないほうがいいと思うけど、良かったら盛り上がりたい場(合コンとか)で使ってください。










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